自治体による離婚前後支援の現在地(7)「親支援講座」―合意の、さらに手前で―「取組事例集」を読んで見えてくるもの

2026年06月30日

本シリーズでは、こども家庭庁の「取組事例集」を素材に、自治体による支援メニューを順に読み解いてきた。強制執行実費の助成、保証料の助成といった「出口(履行確保)」のメニューを論じ、直近の2回は毛色の違う親子交流支援を、執行という出口を持たない領域として取り上げた。

今回扱うのは、それらや取決め段階よりもさらに手前に位置するメニューである。親支援講座――離婚前後の父母に向けた、講座・セミナー・親教育プログラムの類である。


1 親支援講座とは何か

取組事例集には、離婚を考える父母やひとり親に向けた講座・セミナーを実施する自治体の例がいくつか並ぶ(滋賀県、大阪府、仙台市、横浜市、新潟市、名古屋市、船橋市、豊橋市、豊中市、久留米市、中野区、東近江市、羽曳野市)。内容はおおむね共通している。離婚が子に与える影響、養育費や親子交流の取決めの重要性、利用できる制度や相談窓口の案内――こうした事柄を、一般的な知識として父母に伝えるものである。

実施のハードルは、他のメニューに比べて低い。他の支援であれば、助成制度の設計、関係機関との連携の仕組み、親子交流の実行を支える枠組みといった作り込みが要る。これに対して講座は、外部の専門家に講師を委託すれば、ひとまず形になる。だからこそ、多くの自治体にとって着手しやすいメニューとなっている。

なお、私が勤める金沢市でも、こうした講座がオンラインで実施される。令和8年7月2日を皮切りに、複数回が予定されている。


2 なぜ講座は「合意の手前」を担えるのか

自治体や民間の支援団体には、できることとできないことがある。父母の間に立って、具体的な合意の中身を一緒に作り上げていく――そうした合意形成そのものは、弁護士やADR、裁判所といった担い手に委ねられる領域であって、自治体や支援団体が直接引き受けられるものではない。

その点、親支援講座は性格が異なる。講座が伝えるのは、あくまで一般的な知識である。「あなたのケースではこう取り決めるべきだ」と個別の権利義務に踏み込めば法律相談の領域に入るが、「養育費は子のために取り決めておいた方がよい」と一般論を伝えるにとどまるなら、そうした問題は生じにくい。

つまり親支援講座は、合意形成そのものではなく、その「さらに手前」――父母が取決めに向かおうとする、動機づけの段階――を担える手段である。合意の中身づくりは専門の担い手に委ねるほかないが、父母が「取り決めよう」と思うところまでは、講座が一般論として後押しできる。

ここは見落とされやすいが、養育費確保という営み全体が動き出すのは、まさにこの動機づけの段階からである。父母が取決めに向かおうと思わなければ、その先の助成も執行もない。その意味で親支援講座は、メニューの末端にある周辺的な施策などではなく、むしろ事柄の出発点に位置する、重要な取組みなのだと考えている。 


3 重要な取組みが、自治体任せになっている

ところが、この重要な取組みは、まるごと各自治体の裁量に委ねられている。

取組事例集という形式そのものが、それを物語っているように思う。事例集とは、「こういう取組みをしている自治体がある」という紹介であって、標準でも義務でもない。やるかやらないか、どんな中身にするか、その先の導線をどう設計するか――すべては結局、それぞれの自治体の体力と意欲しだいである。

令和6年の民法等改正は、養育費の履行確保という「出口」の側を大きく強化した。しかし、父母を取決めへと向かわせる「手前」の動機づけは、国による義務づけや標準化を欠いたまま、自治体への補助金と事例の共有という緩やかな形に委ねられている。重要な機能が、インフラなきまま自治体任せにされている、という構図は、ここでも変わらない。

結果として、父母が親支援講座に出会えるかどうかは、たまたまどの自治体に住んでいるかに、そしてその自治体に旗を振る意欲があるかどうかに、大きく左右される。重要であることと、重要なものとして扱われていることとは、別なのだ。

そして自治体任せであることは、講座が「やってます」のアリバイへと傾く土壌にもなる。着手しやすく、回数も受講者数も数えやすいメニューであるだけに、その先の導線まで設計せずとも「取り組んでいます」と対外的に示せてしまう。重要な取組みが、最も軽い扱いで済まされかねない――この捻れこそ、自治体任せがもたらす帰結ではないかと感じている。 


4 おわりに

親支援講座は、本来、養育費確保の出発点に位置する重要な取組みでありながら、その重要性に見合った位置づけを与えられないまま、各自治体の善意と体力に委ねられている。

私見を言えば、これは本来、自治体任せにする話ではないのだろう。子をもつすべての親が、いずれ向き合うかもしれない問題である以上、運転免許の講習のように、親になる段階で一度は触れておくべき知識として、全国一律に用意されてよいはずだ。かつてなら、その「箱」――会場や人員――を全国にそろえることの非現実性が、義務化を阻む最大の壁だっただろう。だが、講座がオンラインで成り立つ今、その壁はかなりの程度まで低くなっている。技術はすでに、追いついている。

もっとも、講座のあり方まで全国一律に揃える必要はない。地域の実情に応じて中身を練り、独自の工夫を凝らす自治体があってよいし、その創意こそが支援を豊かにする。ここで言いたいのは、そうした工夫を求める一方で、体力のない自治体には何の備えもない、という現状である。だからこそ、国が標準的な動画を用意し、少なくともそれだけは全国どこでも視聴できるようにしておく――そうした最低限の底上げが要るのではないか。創意工夫は各自治体に開きつつ、下限は国が保障する。この二層があってはじめて、住む場所によって入口に出会えたり出会えなかったりする不均衡が、緩らぐのだと思う。

そして、いずれの形をとるにせよ、本当に人が要るのは、講座を観て動き出した父母の、次の一歩である。一般論で背中を押されたあと、では自分はどうすればよいのかと踏み出そうとする父母を、誰が受けとめ、どこへつなぐのか。着手しやすい入口を作っただけで完結させないために問われるのは、講座そのものではなく、その先の伴走の設計なのである。

講座は入口にすぎず、そこで動きだした父母を次の一歩へとつなぐ誰かが要る。講座と相談とは一方通行ではなく、その行き来の結び目に立つのが、次回に扱う相談員である。