自治体による離婚前後支援の現在地(8)「相談員」という「振分け」装置―担い手を選ぶ、その手前で―「取組事例集」を読んで見えてくるもの

前回、親支援講座を「入口・動機づけの装置」として論じた。父母の背中をそっと押し、意識の芽生えを促す種まきともいえるものだ。だがそこで、一つ宙に浮いたままの問いがあった。歩き出した父母は、その先のどこへ向かえばよいのか。入口を作っても、その先へ導く道筋がなければ、せっかく動き出した歩みも行き場を失う。
この連載では、離婚前後の父母を支える担い手について、繰り返し論じてきた。金沢市の養サポのような養育費確保の仕組み、親子交流の実行支援、ADRによる合意形成――かつては乏しかった行き先が、専門分野ごとに、少しずつ整いつつある。だが、担い手が増えることと、市民がそのうちの正しい一つへたどり着けることとは、別の話だ。むしろ担い手が増えれば増えるほど、その手前で「この父母を、どこへ送るべきか」を見定める交通整理が要るようになる。今回目を向けたいのは、その送り先を選ぶ手前の働きである。担い手は、相談員だ(取組事例集<目次>「相談支援の実施(弁護士・相談員など)」参照)。
1 なぜ「振分け」が、今になって必要になったのか
振分けという機能は、昔から自明にあったわけではない、と私は感じている。
かつては、そもそも担い手が乏しかった。弁護士、家庭裁判所、DV相談窓口――思い浮かぶ送り先は、その程度だった。しかもいずれも、どちらかと言えば、こじれてから、あるいは危機に至ってからの受け皿である。振り分けようにも、選ぶほどの行き先がない。「養育費が取れません」という相談を受けても、つなぐべき先が乏しければ、相談はその場で行き止まる。だから入口の職員に求められたのは、せいぜい話を聞いて、一般的な情報を渡すことまでだった。
ところが、この十数年で風景が変わった。冒頭で触れたような行き先が、専門性や新たな切り口をもって立ち上がってきた。送り先は、複数に、そして複雑になってきている。だからこそ、その地図を知り尽くした相談員がいれば、かつては行き止まりだった相談も、今は「ここへつなげばよい」と送り出せる。
そうなった途端、新しい問題が立ち上がる。送り先が一つしかなければ、迷う余地はない。だが複数あれば、「この事案は、どの行き先へ送るのが正しいのか」を選ばなければならない。養育費の不払いとして執行につなぐべき事案なのか、親子交流の実行支援につなぐべき事案なのか、あるいは合意そのものをADRで作り直すべき段階なのか。選択肢が増えたからこそ、その手前に交通整理が要る。送り先が充実したことが、振分けという機能をはじめて必要にした――そう捉えると、相談員の役割が、なぜ今になって前景化してきたのかが見えてくる。
2 相談員は「弁護士のミニ版」か
ここで、私自身の仕事を振り返って思うことがある。良い振分けには、事案の法的な見立てが要る。そしてその見立ては、相談者の話をよく聴くところからしか始まらない。
窓口を訪れる父母は、自分の困りごとを、いつも正しい名前で語ってくれるわけではない。だからまず、耳を傾ける。質問する。そのうえで、たとえばこういう見分けをする。これはまだ話し合いで合意できる段階なのか、それとも合意はもう望めず、家庭裁判所の手続に乗せるべき段階なのか。あるいは、対話のテーブルに載せてよい事案なのか、それともDVの気配があり、話し合いを促すこと自体が危ういのか。さらには、窓口には「離婚したい」と来たけれど、よく聴けば本人がいま本当に困っているのは、別居中の生活費――婚姻費用――の枯渇ではないのか。こうした見立ては、話を聴き込まなければできない。見立ては、振分けの心臓部である。
その意味で、振分けを担う相談員は、いわば「弁護士のミニ版」のような働きを期待されている。法的なリテラシーで事案の性質を見立て、しかるべき先へつなぐ。私が市役所で日々やっていることの、縮約された姿だと言ってもいい。
だが、ここに厄介な境界がある。見立てに踏み込みすぎれば、それは「法律相談」――弁護士でない者には許されない領域――に近づいてしまう。「ミニ版」という言葉は、ちょうどこの境界の上を歩いている。
3 誰が振り分けを担うのか
では、この際どい見立てを、いったい誰が担えるのか。
素直に考えれば、弁護士である。法的な見立ては弁護士の本領だ。しかし、各自治体の相談窓口に弁護士を常駐させられるかといえば、現実にはとても足りない。数も、配置も、費用も、すべてが追いつかない。そのうえ、かりに弁護士がいたとしても、養育費確保の仕組みや親子交流の実行支援、ADRといった新しい繋ぎ先まで知り尽くしているとは限らない。法を見立てる力と、行き先の地図に通じていることとは、別の資質なのである。
ならば弁護士以外に広げればよい、という話になる。ところが、ここで例の問題が顔を出す。非弁護士が個別の事案について法的な見立てに踏み込めば、それは法律相談――弁護士でない者には許されない領域――に近づいていく。それを避けようとして見立てを控えめにすれば、今度は振り分けそのものが浅くなり、肝心の実効性が失われる。広げれば非弁に触れ、触れまいとすれば機能しない。これでは、出口がないように見える。
しかし、この円環は、「振り分け」というものを一枚岩で捉えているところから来ているように思われる。よく見ると、振り分けの中には、性質の異なる二つの作業が畳み込まれている。
ひとつは、結論を出す見立てである。「あなたなら執行で回収できる」「この事情なら、この程度の額が相当だ」――個別の権利義務に踏み込んで、答えを出してしまう判断。これは法律相談そのものであり、弁護士の領域に属する。非弁護士が担えば、危うい。
もうひとつは、類型を見分ける見立てである。「これは合意を作り直す段階ではなく、家庭裁判所の手続に乗せるべき事案だ」「これは、専門家の判断を要する段階に来ている」――事案の種類と、次に向かうべき先を見分ける作業。ここでは、まだ結論を出していない。やっているのは、いわば交通整理であって、法的判断ではない。
この二つを腑分けすると、円環はほどける。振り分けの本体は、後者――類型を見分けて、しかるべき担い手へ取り次ぐこと――にあるのであって、結論を出すことではない。「あなたには◯◯の権利がある」と言う必要はない。「これは、◯◯につなぐべき案件だ」と見分けて、送り出せばよい。
非弁が禁じるのは、煎じ詰めれば、法的紛争の解決に踏み込む行為である。とすれば、紛争の種類を見分けて渡すだけの働きは、その核心からは外れている。結論を出さず、種類を見分けて次へ渡す――その限りでとどまるなら、振り分けは法律相談の手前にとどまれる、と考える余地がある。
そう捉え直すと、相談員に求められるものの像が変わってくる。相談員とは、結論を出す人ではない。結論を出せる担い手――弁護士、ADR、裁判所――へと、事案を的確に渡す人である。先に「弁護士のミニ版」と書いたが、それは小さな法的結論を出すミニ弁護士という意味ではない。父母の話をよく聴き、問い、その困りごとがどの制度や担い手につながる話なのかを法的なリテラシーで見分けて、行き先へ案内する――そういう働きのことである。見立てはするが、結論はしない。ここに、相談員という職能の核がある。
加えて言えば、自治体の相談窓口の多くは、無償の公的サービスである。非弁を禁じる規定が「報酬を得る目的」を要件とする以上、公務として無償で行われる相談には、その形式的な制約はそもそも及びにくい。非弁の懸念が最も鋭くなるのは、むしろ民間で対価を得て行われる場面の方である。とすれば、公的な相談員について本当に問われるべきは、違法か否かではなく、振り分けの質――見立てを誤れば、父母を見当違いの行き先へ送ってしまう――の方なのだろう。
求められているのは、結論を出す力ではない。種類を見分け、適切な先へ渡す力。地味だが、これを担える人材を、どう育て、どう配置するか。そここそが、振り分け機能を絵に描いた餅に終わらせないための、本当の課題ではないかと思う。
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さて、こども家庭庁の取組事例集を一つずつ読み解いてきたこの連載も、今回でひと区切りとしたい。
メニューを順にたどりながら論じてきた論点は、多岐にわたる。ただ、それらの底には、共通して横たわる問いがあったようにも思う。合意の「手前」を、誰が担うのか――取り決めにたどり着く前の、あの空白の領域である。
日本では、離婚の約9割が、裁判所を経ない協議離婚である。裏を返せば、大多数の父母は、専門家の関与も公的な確認もないまま、当事者だけで合意にたどり着く。あるいは、たどり着けずに諦めるか、離婚だけを決めて通り過ぎていく。取り決めの中身を支える制度は、家庭裁判所や弁護士に加え、近年はADRも整い、徐々に充実してきた。だが、そもそも取り決めにたどり着く手前――何をどう決めればよいのか、どこへ相談すればよいのか――を支える仕組みは、まだ決定的に足りていない。合意の手前の空白とは、この9割が置かれている場所のことにほかならない。
今回論じた相談員による振分けは、その空白を人の手で埋めようとする、一つの手立てだったのだと思う。
最後に。次回は、これまで書いてきた記事の全体について、どこから読めばよいのかの見取り図を置きたい。
