自治体による離婚前後支援の現在地(6)「親子交流支援・後編」―分断を束ねる「集約点」はどこに―「取組事例集」を読んで見えてくるもの

前編では、養育費には「執行」という出口があるが親子交流にはそれがなく、執行で守れないものは伴走そのものでしか守れない、ということを事例集に即して見た。そして一つの問いを残した。実行支援は弁護士法72条の制約から「合意の先」しか担えない。では、合意の手前で親を支えるのは誰なのか。
後編は、この問いに向き合う。先日のADR大会の参加記で、私は「ADR普及の鍵は、専門分野に紐づき圧倒的な利便性を備えた一つの集約点ではないか」と書いた。あの見立てが、実は親子交流支援の現場で、既に複数の形をとって動き始めている。
1 「合意の手前」と「合意の先」の断絶
親子交流支援は、交流の条件を父母が取り決める「合意形成」と、決まった交流を回していく「実行支援」――受渡し、付添い、連絡調整――に分かれる。前編で見た自治体メニューは、ほぼ例外なく後者だけを担っていた。埼玉県も大阪府も高松市も、対象要件に「親子交流の取決めがあり、父母間に合意があること」を掲げる。合意ができている人だけが入口に立てるのであって、まだ条件で揉めている父母、そもそも会わせるかで対立している父母は、ここに入ってこられない。
理由は弁護士法による制約である。父母の間で対立する利害を調整し条件をまとめる行為は、それ自体が法律事務の取扱いにあたりうるもので、報酬を得て業として行えるのは原則として弁護士に限られる。だから支援団体も自治体も、構造的に「合意の先」しか担えない。合意の手前は弁護士・家事調停・ADRの領域、合意の先は支援団体・自治体の領域と、二つは制度的に分かれ、その間を橋渡しする手軽な仕組みが乏しかった。親子交流が「水物」で微調整が続くものであることを思えば、この断絶は致命的ですらある。
2 現場では、二つの出自から「統合」が始まっている
調べていて面白かったのは、この断絶を一つの組織の中で埋めにかかる担い手が、出自のまるで違う二つの型であらわれていることだった。
第一が、テック発のraeru型である。親子交流アプリのraeruを運営する事業者は、「ラエル調停」という法務大臣認証のADRを自前で持つ。夜間・土曜・オンライン完結で早期の合意を目指し、合意内容を合意書にまとめ、その後はアプリで親子交流の調整・記録を続けられる。「合意形成→合意書→実行支援→継続管理」を一つの事業者が一気通貫で抱えており、前回書いた集約点を最も完成した形で実装した例だと言ってよい。
第二が、人的支援の老舗から伸びたFPIC型である。家庭問題情報センター(FPIC)は親子交流支援の最大手で、独自ルールに沿った実行支援を各地の相談室で行う一方、法務大臣認証のADRも運営する。担い手は元裁判官・元家裁調査官・元家事調停委員・弁護士で、相談からADRによる合意、面会交流の実行支援までを、元家裁人材の専門性で垂直につないでいる。raeruがテックから統合に向かったとすれば、FPICは実行の現場から向かった。
二つは出自――アプリと人的支援――が真逆なのに、「合意形成と実行支援をつなぐ」という一点で一致している。前回の集約点論は机上の提言ではなく、もう現場で複数の形をとって起きているのである。
3 循環するからこそ、実行の側からの拡張が効く
親子交流は、一度合意して終わりではない。子は育ち、生活は変わり、決めた交流は早晩、現実に合わなくなる。だから実行と合意の修正は循環する。やってみる、ずれる、直す、またやってみる――前編で「水物」と書いたのはこのことだった。そして、この循環で最初に「ずれ」を捉えるのは実行の現場である。受渡しや付添いの場で、子の様子や父母の関係の変化がいちばん早く見える。
FPICもraeruも、この実行の現場を持ちながら、自前のADRを備えている。FPICは、元家裁人材による面会交流の実行支援を各地の相談室で担う一方、自前の認証ADRを持ち、現場で生じた行き違いをそのまま合意の修正につなげられる。
raeruは、アプリと有人サポート(リモート方式である)で日々の交流を回しつつ、当事者が躓いたときの受け皿として「ラエル調停」を自前で用意し、さらに自社の外にある人的な実行支援団体との連携も広げようとしている。
出自は人的支援とテックで正反対だが、どちらも「実行支援を続けながら、ずれたらADRで直す」という循環を、一つの担い手の中で閉じようとしている点で重なる。循環する親子交流には、この実行起点の型が最も噛み合うのではないか。
逆方向の動きもある。合意形成を担うADR機関の側が、実行支援団体との協力を伺いつつあるのだ。これはADR機関にとって理にかなう。家裁の調停は、成立で手続が終われば、その後の交流が現場でどう回っているかまでは見届けない。これに対しADRは、もともと当事者との距離が近く柔軟な手続だから、実行支援団体と組めば、合意のあとも現場の様子を踏まえて修正へと戻ってこられる。決めて終わりにしない循環を簡易かつ容易に作れる点に、家裁にはないADRの強みがある。組み方によっては非弁提携への目配りが要る場面もあるが、そこは設計しだいだろう。
4 自治体は、その統合にどう接続するか
このように民間側で統合が進むとき、自治体の関わり方も「自前か委託か」より細かく割れる。大きく三つの型がある。
①相乗り型は、自治体が独自の支援体制を作らず、既にある民間サービスを利用して父母を支える形である。富山県と横浜市がこれにあたる。富山県は、県のセンターがraeruの有人(リモート)サポート利用料を一組あたり一定額まで補助し、利用料の肩代わりで乗る。背景には、富山県内に親子交流の実行支援団体が存在しないという事情がある。人を抱えた支援団体を自前で立ち上げるのではなく、まずはアプリで父母を支えようという発想であり、担い手の薄い地方ならではの現実的な選択といえる。横浜市は、raeruと2024年12月に連携協定を結び、市内在住者にアプリの有料プランを一定期間無料で開放したうえ、アプリを通じてひとり親支援の情報も届ける。富山が利用料を補助して金銭で支えるのに対し、横浜は費用を出さず、広報と利用促進で父母を後押しする。
②委託型は埼玉県や高松市で、県や市が支援団体に親子交流支援を委託する。埼玉県の場合、委託先びじっとの支援メニューに連絡調整型・付添い型・受渡し型と並んで「raeru見守り型」が入っており、委託を通じてアプリ見守りまで現場に届く形になっている。
③自前統合型は明石市である。委託に頼らず、相談から連絡調整・受渡しまでを市職員が一貫して直営で担う。さらに、合意の手前についても、非弁の一線を越えない範囲で――条件調整そのものには立ち入らず、取決めに役立つ情報提供や養育プラン・合意書のひな型の提供、取決め費用の助成といった限度で――できることをやっている。前編で見た明石市の突出は、合意形成そのものには踏み込めないという制約の中で、その手前と先の両側を、市がやれる限りやり切った結果だったとも読める。
民間の統合に対し、自治体は「相乗りする・委託する」のどちらかで接続するか、「自前で用意」する。どれが正解ということではないが、いずれの型も、突き詰めれば「合意の手前から先までの支えを、自治体がどう届けるか」という同じ課題への、別々の答えなのである。
5 標準化という底上げ――そして地方の薄さ
もう一つ見落とせないのが、支援団体の標準化の動きである。ACCSJという団体が支援団体の認証制度という形で基準づくりを行っている。こうした標準化は、補助や委託の正当化根拠になると同時に、支援の質を底上げし、団体ごと・地域ごとのばらつきを抑える。支援団体の質がバラバラでは束ねようがない以上、標準化は集約の前提条件でもある。
ただ、標準化が活きるのは、そもそも支援団体がある地域に限られる。そして、その「支援団体があるのか」こそが、地方では最大の難所なのだ。支援団体は都市部に偏在し、地方には存在すらしないことが多い。地元の石川県でも親子交流支援に取り組む団体はWEKプロジェクトのみであり、もとはDV被害者支援を母体とする。担い手の層が薄い地域では、「集約点を作る」以前に「束ねるべき担い手がそもそも足りない」という現実がある。標準化は質を揃える前提を作るが、その前段にある「担い手の不在」そのものは、標準化だけでは埋まらない。集約点の議論は、この担い手不足という土台の問題と切り離せない。富山県がraeruに乗ったのも、突き詰めればこの土台の問題への一つの答えだった。
6 集約点を、どこに置くのか
最初の問いに戻る。合意の手前で親を支えるのは、誰なのか。
ここまで見てきて、私なりの答えははっきりしてきた。鍵になるのは、当事者が最初にたどり着く一つの窓口である。そこに相談すれば、まだ合意ができていなければ合意形成(ADR)へ、合意ができていれば実行支援へ、交流を続けるうちにずれが出ればまた修正へと、必要な支援に振り分けてもらえる。父母が「合意ができているか」で入口を選別され、できていなければ門前払いされる――今の構造をひっくり返し、どの段階の親もまず受け止める一点。これが、私の言う集約点である。
この窓口は、ゼロから新しい機関を作る必要はない。すでに実行支援とADRの両方を持つFPICやraeruは、その実質をかなり備えている。問題は、こうした担い手が当事者から見えておらず、家庭裁判所か、民間ADRか、自治体か、どこへ行けばよいか分からないまま散らばっていることだ。だから必要なのは、機関を増やすことではなく、既にいる担い手のどれかを「ここに来ればいい」と当事者が分かる窓口に育て、関係機関がそこへ当事者をつないでいく流れを作ることである。たとえば、自治体が離婚届の配布時や初期相談でその窓口を案内し、家庭裁判所も調停の前後でそこへ当事者を導く――こうした既存の公的な接点から民間の集約点へとパスをつなぐ動線が、「協働」の具体的な中身になるはずだ。とりわけ、家庭裁判所が地域ごとの集約点となる担い手へ当事者を案内する踏み込みは、その担い手が民間であれ自治体であれ、これまでほとんど例がなく、実現すれば画期的な一歩になるだろう。
こうした集約点を誰が担うかは、地域によって違ってよい。実行支援とADRを併せ持つ民間がいる地域はそこが、いない地域は自治体の窓口や法テラス・弁護士会が、当面の集約点になろう。誰が担うにせよ、鍵は競争ではなく協働だ。法務省、こども家庭庁、自治体、弁護士会、民間ADR、家庭裁判所――立場の違う担い手が、一つの入口へ当事者を案内する仕組みのために手を組めるかどうか。そこに、合意の手前で立ち往生する父母を救えるかどうかがかかっている。
執行で守れないものは、関係を支え続けることでしか守れない。そしてその支えは、一人の、一つの団体の頑張りではなく、当事者がまず一か所にたどり着ける入口によってこそ、合意の手前にいる父母のもとへ広く届く。親子交流支援の現在地を前後編にわたって眺めて、私はそう感じている。
