自治体による離婚前後支援の現在地(5)「親子交流支援」―執行という出口のない領域で―「取組事例集」を読んで見えてくるもの

2026年06月16日

本シリーズでは、こども家庭庁の「取組事例集」(離婚前後家庭支援事業取組事例集)を素材に、自治体による養育費確保のメニューを順に読み解いてきた。先日のADR大会の参加記で一度寄り道をしたが、今回は事例集に戻り、毛色の違うメニューを取り上げる。親子交流支援である。

親子交流支援は、養育費の支援とは設計の前提からして異なっている、と私は考えている。事例集の読み解きに入る前に、その違いを先に押さえておきたい。


1 「民事執行という出口」があるかないか

養育費は、突き詰めれば金銭債権である。だからこそ、最後には「民事執行」という出口がある。相手が払わなければ、債務名義又は先取特権に基づいて給料や預金を差し押さえられる。本シリーズで見てきた養育費系のメニューは、突き詰めればすべて、この出口へ当事者を運ぶための仕組みだった。

ところが親子交流には、この出口が事実上ない。

履行されないときに間接強制という手段が一応ありうるが、給付内容が相当に特定されている場合に限られるし、「会わせなければ一日いくら」と金銭で間接的に実施を促すにとどまる。子と別居親を引き合わせること自体を直接に強制する手段は、制度上、想定されていない。

より本質的なのは、仮に強制できたとしても意味が乏しいことである。嫌がる相手を法の力で引きずってきて子に会わせて、それが子の福祉に資するとは思えない。親子交流は、金銭債権とは違い、子の成長や生活の変化に応じて頻度も方法も変わり続ける。いわば「水物」であり、一度決めれば終わり、ではない。

つまり親子交流支援とは、「民事執行という出口のない領域で、それでも交流を続けさせるには何が支えになるのか」を問う営みなのである。執行に代わる支えを別に用意するしかなく、その支えが、これから見る「実行支援」すなわち親子交流支援ということになる。 


2 実行支援という伴走――人手とコストのかかる、そして終わりを目指す営み

事例集に並ぶ取組を読むと、支援の中身がよく分かる。父母双方と事前面談をして交流計画書を作り、交流当日には子どもを引き取り、相手方へ引き渡し、交流の場に付き添う。連絡調整、受渡し、付添い――これが実行支援の実体である。

一読して気づくのは、これがどれほど人手のかかる営みか、ということだ。埼玉県(上記事例集PDF_P144)の委託先は元家庭裁判所調査官を含む役員4人・スタッフ140人、高松市(上記事例集PDF_P149)の委託先は有償ボランティア37人と、相応の人員を抱えて初めて回る事業であり、当然コストもかかる。養育費の支援が最終的に「執行」という制度に接続して完結しうるのに対し、親子交流支援は人が現場で動き続けることでしか成り立たない。執行に代わる支えが人的な伴走である以上、これは不可避である。

もっとも、その伴走は永続を前提とはしていない。明石市は支援の目標を「将来的に父母のみで自力実施ができるようになること」と明記し、高松市や静岡市・浜松市もアフターケアや自立支援を掲げる。埼玉県が最大12か月・12回、高松市が原則月1回・最長1年と期限を設けているのも同じ発想だろう。いずれ父母だけで回せるようになる「卒業」を目指して、期間を区切って伴走する。人手のかかる繊細な営みであるがゆえに、終わりを見据えざるをえない、とも言える。

以上を踏まえ、自治体の関わりには大きく二つの型がある。一つは民間団体への委託型で、埼玉県(びじっと)、大阪府(母子寡婦福祉連合会からハッピーシェアリングへ再委託)、高松市(面会交流支援センター香川)、豊中市、静岡市・浜松市がこれにあたる。これは、親子交流のための人的リソースを自治体独自では確保できないのが通例であるが故の必然的な帰結であろう。これに対し、こうした困難に切り込んで作り上げたもう一つの型が自治体が自前で担う直営型である。事例集の中で、明石市が際立っている。


3 事例集の数字が語ること――「制度はあるのに使われない」

大多数を占める委託型の限界は、実施件数に現れている。

事例集に載る実施件数は、総じて驚くほど少ない。埼玉県は、先に触れたような人員体制を背景としながらも、令和7年12月末時点で親子交流の実施7件・支援15世帯にとどまる。大阪府(上記事例集PDF_P145)は親子交流ケース1件、静岡市・浜松市(上記事例集PDF_P146)はそれぞれ0〜1件、豊中市(上記事例集PDF_P147)は2件。いずれも体制の規模に比して、動いている交流があまりにも少ない。

これは、本シリーズの(3)で養育費保証契約の保証料助成について述べたのと、まったく同じ風景である。合理的に見える制度を相応の体制まで整えながら、現場ではほとんど使われていない。制度はあるのに、使われない。親子交流支援もまた、その典型なのである。

ところが、この風景の中で、一つだけ例外がある。直営型をとった明石市(上記事例集PDF_P148)である。令和6年4月から令和7年12月末までで、受渡し220件、連絡調整143件、親子交流実施94件、15ケース。他の自治体が軒並み一桁にとどまるなか、文字どおり桁が違う。委託をせず市職員が直接担う、自治体直営という一見不利に見える形でありながら、実施件数は他を圧倒している。なぜ明石市だけが、この「使われない」構造を脱しているのか。


4 なぜ明石市か――やり切った、ということ

工夫はいくつもある。離婚届の配布時にパンフレットや養育プランを渡す入口の周知、相談から受渡しまでを市職員が一貫して担う直営――いずれも当事者を支援につなげる仕掛けである。だが、窓口配布は近年は多くの自治体が行っており、直営という形も、それ自体が件数を生む決定打とまではいいがたい。

そして、これらの背後にある最も本質的な要因は、おそらく、強い政治的意思によって一気にやり切ったことだと私は見ている。明石市の離婚後のこども養育支援は、泉房穂・前市長のトップダウンのもと、平成26年から先駆的に作り込まれてきた。相談から取決め支援(取決め手続きに係る助言と費用助成)、交流の場の提供、関係機関の連携まで、個々のメニューが単独で効くというより、それらが束ねられ、市の本気として届く規模で実装されたことに、突出の核がある。私と同じ弁護士でもある泉氏が子の利益を市政の前面に掲げて推進した、その産物だと言ってよい。

ここに、横展開の難しさが顔を出す。制度の「形」は要綱を読めば移植できる。窓口で配り、直営で担い、合意書のひな型を用意する――それ自体はどの自治体でも真似られる。しかし、それを件数が伸びる規模までやり切る政治的意思は、要綱には書かれていない。事例集を横並びに眺めて「明石市のメニューを参考に」と取り入れても件数が一桁にとどまる自治体が多いのは、形は移せても推進力までは移せないからではないか。明石市が依然としてフロントランナーであり続けているのは、皮肉にも、そこが最も真似しにくい部分だからなのだろう。


5 残された問い――「合意の手前」は、誰が支えるのか

さて、最後にこの読み解きが必然的に行き着く問いを書いておきたい。

親子交流の実行支援は、ともあれ合意ができてはじめて動き出す。逆に言えば、合意ができていない父母は、その入口にすら立てない。これは制度の不備というより、避けがたい一線でもある。まだ交流条件で対立する父母の間に支援員が入って条件そのものを調整しはじめれば、弁護士法72条の非弁の問題に触れかねないからだ。だから自治体も支援団体も、合意形成には立ち入らず、既に決まった取決めを実施する部分に徹する。担い手は、構造的に「合意の先」しか担えないのである。

ところが、親子交流をめぐって父母が本当に立ち往生するのは、まさにこの「合意の手前」である。何回会わせるか、どう受け渡すか、それを決められないからこそ困っている。事例集の実施件数があれほど少ないのも、体制が足りないからではなく、そもそも入口の手前――合意形成の段階――で、多くの父母が振り落とされているからではないか。

では、その「合意の手前」を、いったい誰が、どう支えるのか。あれほど束ねた明石市ですら、力点を置いたのは合意の先の実行支援であって、合意の手前そのものに踏み込んだわけではない。残るのは、現実的には、家庭裁判所か、ADRか、弁護士か、あるいは別の何かが担うことになりそうである。もちろん、家庭裁判所が中心的な役割を担うことは否定できない。だが、それだけで十分なのか、という問いは残る。これは、もはや事例集に並ぶメニューの中には答えのない問いなのであるが、前回のADR大会で考えた「集約点」の話とも、ここで再び交わってくる。事例集を離れたその先は、次回に改めて取り上げたい。