令和6年民法等改正―「対話」と「文書作成」を支えるインフラなきまま進んでよいのか

令和6年民法等改正は、離婚後の親子関係・父母関係および養育費の履行確保の在り方を大きく変えるものである。父母の子育てに法的裏付けを与え、養育費確保の実効性を高めるという点で、評価すべき側面は大きい。
もっとも、実務の現場に立つ者として率直に言えば、本改正は「制度の高度化」に対して「社会の受け皿」が決定的に追いついていないという問題を露呈させている。改正法が施行され、既に実務は走り出しているが、それを支えるインフラは十分に整っていない。このねじれをいかに解消するかが喫緊の課題である。
今回は、改正法の中核である離婚後共同親権と養育費の先取特権付与について、その内容と課題を整理する。
1 離婚後共同親権―「足し算」から「対話と創造」への転換
離婚後共同親権に関し、父母から最も多く寄せられるのは、「単独親権と共同親権は何が違うのか」「どちらを選ぶべきか」という問いである。改正法の施行前後から、この種の相談は確実に増加している。
この問いに対し、私は次のように説明している。
単独親権は「足し算」の世界である。
原則として同居親が親権・監護を担い、別居親は養育費と親子交流を通じて関与する。そこに、学校行事への参加、習い事の送迎、長期休暇中の過ごし方といった要素を個別に「追加」していく構造である。出発点が明確であり、父母の役割分担も理解しやすいという利点がある。
他方で、別居親は「与えられる側」に置かれやすく、不平等感や法的裏付けの乏しさへの違和感を抱きやすいという側面も否定できない。
これに対し、共同親権(特に共同「監護」の場合)は「対話と創造」の世界である。
父母が共同して子育てを担う以上、どちらが主に監護するのか、重要事項をどのように決定するのか、情報共有をどのように行うのかといった点を、あらかじめ定めつつ、その後も新たな事象や状況の変化に応じて継続的な対話と創造が必要になる。
確かに、民法やQ&Aでは、監護及び教育に関する日常の行為や緊急時の対応について親権の単独行使が認められる場面が示されている。しかし、それらは細部にわたる規律を与えるものではない。実際には、どこまでが単独で許され、どこからが共同なのかを明確に線引きすることは困難である。子育てが本質的に予測不能な営みである以上、共同親権は一定の不透明さを内包する制度である。
しかし、それでもなお、この制度の価値は大きい。父母が対等な主体として子育てに関与し続け、困難を対話によって乗り越えていく実践は、理想的な子育ての姿にほかならないと思うからである。
このように、離婚後共同親権(正確にはその趣旨・精神)の実践とは、「安定したルールに従う世界」から「関係性を通じてルールを創り続ける世界」への転換といえる。
2 共同養育計画―理念を現実に落とし込むための要となる手段
この転換を現実に機能させるために不可欠なのが、共同養育計画である。
当該父母に共同親権が適しているか否かは、抽象論や精神論では判断できない。結局のところ、問うべきは次の一点に尽きる。
すなわち、「子育ての方針、役割分担、情報共有の仕組み、意思決定方法について、具体的な計画を相手と共に作ることができそうか」である。
共同養育計画は、単なる理想の宣言や「文字だけの合意」では足りない。今後の子育てにおいて想定される場面をできる限り織り込み、役割と手順を定めた「実際に使える文書」を作らなければならない。これを欠いた共同親権は、理念先行の不安定な外枠にとどまり、かえって紛争の火種となりかねない。
実際、父母は「共同親権」という言葉に、それぞれ自らに都合のよい意味内容を投影しがちである。その最たる例がDV事案である。従前、DV加害者は「監護者は譲るが親権者は自分にしてほしい」と迫る構図が見られたが、今後はこれが「共同親権」という形で持ち込まれる危険がある。支援者としては、共同親権の選択が真に父母双方の意思に基づくものかを慎重に見極める必要がある。
3 養育費への先取特権付与―「文書の質」が直ちに結果を左右する時代へ
本改正のもう一つの柱が、養育費債権への先取特権付与である。端的にいえば、養育費合意の時期にかかわらず、2026年4月1日以降に発生する養育費については、父母間の合意文書に基づいて民事執行が可能となる。
これは履行確保の観点から見れば画期的である。従前は、父母間の合意文書(私的文書)だけでは足りず、公正証書や調停調書といった債務名義を経なければ給与差押え等はできなかったが、そのハードルは大きく下がった。
しかし、この「容易さ」は同時に重要な注意点も含んでいる。
実際に民事執行できるか否かは、合意文書の内容と形式に全面的に依存する。条項の不備や記載の曖昧さがあれば、いざという場面で執行が頓挫し、その不利益は結局は子どもに帰着する。
したがって、本改正は、父母に作成が求められる養育費合意文書の水準を飛躍的に引き上げたといえる。これに伴い、弁護士を含め、文書作成を支援する側の責任もまた質的に変化し、より重いものとなった。アドバイス一つ、条項一つが執行の成否を分かつからである。
4 「対話」と「文書」を支えるインフラの決定的不足
以上の2つの改正に共通するのは、「適切な対話」と「適切な文書作成」が不可欠となった点である。
にもかかわらず、日本には、
- 父母が安心して協議できる場
- 共同養育計画の策定を支援する仕組み
- 文書の法的効力の有無や程度をチェックする機能
といった基盤が十分に整備されていない。
これらを担う受け皿として民間ADRの存在はあるが、その発展を待つだけでは、現実の多様かつ細かな当事者ニーズに到底追いつかない。法制度や理念だけが先行し、当事者が放置される構図は避けるべきである。
求められているのは、より日常的にアクセス可能なインフラである。すなわち、誰もが過度な負担なく利用でき、助言・チェック・文書化・保存までを一体的に支援する仕組みである。
5 おわりに
令和6年民法等改正は、父母に対して「対話し、設計(計画)し、記録せよ」と求める改正である。
しかし、その実践を支える社会的基盤は未だ脆弱である。このギャップを放置すれば、制度は理念倒れに終わりかねない。そもそも誰が責任をもってこうした基盤整備を担うのかが明確でない点も大きな問題である。
もっとも、見方を変えれば、ここにこそ実務と政策のフロンティアがあるともいえる。
いま必要なのは、法改正の理念を現実に接続するためのインフラ整備である。対話と文書作成を支える仕組みを社会として構築できるか――その成否が、これからの子どもを取り巻く環境の質を大きく左右することになるであろう。
